アイスクリームの日本史

12世紀初め:貴族のデザート『削り氷』(けずりひ)

氷菓の記録として残っているものは、枕草子、源氏物語に書かれている『削り氷』という氷菓が最古のものといわれています。氷を砕いて『甘葛煎』(あまづらせん)と言うつたの蜜をかけたものだそうです。氷菓のはじまりというよりもかき氷のはじまりといえるのではないでしょうか。清少納言は『貴重なるもの』と賞賛しています。当時としては貴重なものとして、重宝されていたのでしょうね。



アメリカ使節団が出会った『アイスクリン』

日本人がアイスクリームと初めて出会ったのは、江戸時代末期のことだそうです。
1860年に咸臨丸で渡米した幕府の使節団が最初というのが定説になっています。

そして明治2年に日本で最初のアイスクリームが作られたそうです。
明治の文明開化の波にのり、アイスクリームの歴史も始まったといえるでしょう。




横浜の馬車道に日本初の『アイスクリン屋』

日本初のアイスクリームは、1869年町田房蔵が横浜の馬車道通りに開いたお店で製造・販売したものが最初であります。日本で最初のアイスクリーム「あいすくりん」の製造販売を始めました。「あいすくりん」のお値段は、今の金額に換算すると、なんと約8000円だったそうです。作って販売するのはいいですが、誰が購入したのでしょうね。




ハイカラなデザートとして庶民に

明治8年に開新堂がアイスクリームを売り出しはじめました。次いで風月堂、函館館もメニューにアイスクリームを加えて販売したそうです。そして明治33年銀座に資生堂が開業、アイスクリームとアイスソーダの販売を始めました。アイスクリームの量産は、1906年、資生堂ソーダによって開始されましたがアイスクリームは庶民の手には届かないとても高価な商品でした。ところが、街では「一杯一銭」のアイスクリーム売りがいたことが『東京年中行事』に描かれています。
1912年頃大正時代になると、アイスクリームの需要が大きく伸びました。また下町では、自転車に旗を立てて町中を売り歩く『アイスクリン』がありました。
大正も半ばになると、日本でもアイスクリームの工業化がスタートします。それまでは、レストランでしか食べられなかったアイスクリームが、家庭でも気軽に食べられるようになり、さらにカップアイスの登場でアイスクリームの普及が進みました。
  



アイスクリームの工業化がスタート

大正9年に富士のアイスクリーム工場で、アイスクリームの工業生産がスタートしました。
大正10年には明治乳業の前身である極東練乳三島工場で工業生産が始まりました。そこで出来上がったアイスクリームは高級店で販売されていたそうです。

その後、アメリカでアイスクリームの製造技術を学んで帰国した佐藤貢は、北海道札幌の自助園農場(後の雪印乳業)で、『自助園アイスクリーム』の製造を始めます。

  



ブリックアイスとカップアイス

大正12年に発売された人気商品『自助園アイスクリーム』は、チョコ、ストロベリー、レモンの「3色アイス」でした。その当時から3つの味が楽しめたのですね。その後、『ブリックアイスクリーム』として売り出されます。この3色は今でもアイスクリームの基本色として使われています。
またアイスクリームの定番カップ入りアイスクリームは雪印乳業で昭和10年に製造が開始されました。

  



夏のおやつの定番に

昭和10年代には、自転車にアイスボックスを積んで売り歩くアイスクリーム売りが現われました。
昭和28年、国産カップの充填機が雪印の品川工場で稼動開始。本格的にカップアイスの生産が始まりました。大阪工場で生産されていた<赤><青><黄>のカップアイスがヒット商品になったのもこの頃です。
  
昭和30年代に入り、現在も販売されているカップアイスやコーンアイスも登場しました。
昭和30年に協同乳業は、酪農先進国のデンマークから大量生産できるアイスクリームマシンを輸入。
昭和31年に10円の『アイスクリームバー』を発売しました。大量生産でコストダウンを図り、アイスクリームの大衆化への第1歩となりました。さらに当たれば、アイスクリームがもう1本もらえるクジで、当時の子供たちに爆発的な人気となります。

昭和61年、町田房蔵による国産アイスクリームの製造販売を記念して(社)日本アイスクリーム協会は5月9日を『アイスクリームの日』とし、毎年さまざまなアイスクリームのイベントを開催しています。